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野党の要求はダブルスタンダード

コロナウイルスの感染拡大が止まらず、国内でも新たなフェーズに入ったと言えるようです。中国からの入国を即時制限しなかったことに批判が出ていますが、政府はなんとか適切なタイミングで行動できたと、わたしは評価しています。野党がさくらの会のことをしつこく追求するような日本で、あれ以上のことはそもそも難しかったでしょう。
それよりも問題なのは、専門家の意見を聞くタイミングが遅すぎるということ。専門家会議がやっと開催されたようですが、1ヶ月も経過しています。

法律が整備されていない状況で、すぐに入国を制限すべきだったという主張は、難しく考えてみると、行政が法規範を踏み越える例外状態を作り出すということ。近ごろは、政権が強くなりすぎたことで、この例外状態が常態化しているのではないかと心配する人が多くなっているようです。
さくらの会の問題は、例外を許さず公開性を担保し法規範を重視すべき、ということを言ってるわけで、コロナウイルスと同時にこの話題をテーブルに上げると、なんだかダブルスタンダードに見えてきて、違和感が大きくなる気がします。
片方ではすぐ判断して決めろ!と言い、片方では勝手に決めるな!と言ってるわけですから、両方同時に答えるには、理屈よりも屁理屈が必要になりそうですね。

ちなみに、官僚が公開する情報についても、プロセスなどの詳細な記録が残っていないことに批判がされるのですが、これもわたしには難しく見えるときがあります。
官僚は、「政治主導」と言われて、自分で考えて行動することを控えろと言われるようになったわけですが、一方で新自由主義によって「行政の効率化」ということも言われているわけです。
決済の部分だけではなく、プロセスに対しても詳細な記録を残せ、廃棄するな、という話は、「いちいち何でもかんでも文書にしないと動かない」「効率が悪い」と批判されている一方で、反対の指示を出されているようなもの。決裁文書さえあれば、政策は行えますから、プロセスの部分は最小限にしようと主張する人も中にはいるでしょう。
もちろん臨機応変にしろと言うことなのですが、一方では「勝手に考えるな」と言われているわけですから。臨機応変も難しいんじゃないかなあと思います。ルール作りという話になるのでしょうけど、また仕事が煩雑になり、効率が悪くなる。堂々巡りです。 
誰が何が物事を決めるのか?ということを、あまりに簡単に考えてしまい、好き勝手にいろいろと言っても、結局ルールは必要です。規範が無いところには自由よりも混乱しか残らない気がします。

政府が例外状態で規範を乗り越えることを要求されることも、臨機応変とかケースバイケースとか非常事態とかいう話になって期待されます。しかし、今回のような初めての病気が来たときに、その時点の判断は専門家でも非常に難しく、科学的根拠に基づいた判断はできないので、専門家のカン(これは大事ですが)や誰かの思い込みで決められたことが、ある意味結果オーライだったり、取り越し苦労だったりするわけです。
その判断に重くのしかかるのは、例外状態の危険さで、中国のようなトップダウンの意思決定のみが存在する統治ではできても、日本では相当難しい判断だと思います。
判断の大博打が失敗したら、「例外」だったことを批判されるのは間違いありません。

やはり、議会が迅速に動いて法改正をしていく。それで間に合わないのなら、例外を認める決定を迅速に行う。そういう手続きも必要なのではないかと感じました。
野党があんなでは、それも相当に難しいことだと言わざるを得ませんが。

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