えびさわ由紀

代表選について考えたこと

迷ったあげくに結局出さなかったのですが、2回目の都構想住民投票(2020年11月1日)以前に、ブログを書いておりました。
この時も代表選がどうのこうのという話が持ち上がっていた時でした。
当時の文を、そのまま掲載してみます。

代表選については、自民党の総裁選、民主党の代表選などと同様にマスコミが盛り上がり、PR効果が見込まれることは確実です。わたしは、維新の会でも代表選を行ったほうが良いと考えていました。
しかし、橋下徹元代表の引退を深く振り返るにつれて、代表選は必要ないと考えました。

維新の会の組織規範は、自民党や民主党のそれとは異なります。
維新の会は、他党と違い派閥を持ちません。細かい人間関係があるとしても、それによって争うことは今のところ無い。他党で言うと、維新の会全体が派閥という感じでしょうか。

代表選で決める方法は、派閥を持つ組織の都合を重視しています。
大きな欠点は、極めてうまく行っているリーダシップでも、途中で断ってしまうことがあるということ。
「そろそろ変わってもらわないと次にやりたい人がいるから困る」などの理由で交代することもあるでしょう。

また、責任回避のために多数決を行うことにもつながり、多数決で決まったのだから全員の責任だと言うことになる。
うまく行かなかったとしても責任は組織全体にあり、パフォーマンスが上がらなかったとしても、誰も責任を取らないということになりかねない。

2015年の都構想住民投票(2015年5月17日)では、大接戦で破れ、橋下元代表が引退を表明することになりました。
維新の会は、橋下元代表の強烈なリーダシップの元に集まり、トップダウンの意思決定の元に行動を取って来ました。
しかし、維新の会の最大かつ当面の課題である都構想についての戦いに敗れるという事態に当たり、彼はすべての責任をとったのです。

これがつまり、維新の会がトップダウンの意思決定で機能してきた組織であり、「極めて日本的な合議による意思決定を重視し、誰も責任をとらない組織」に対して、「欧米的な規律のあるトップダウンの組織」として機能してきた証となるものでしょう。

トップダウンの意思決定とは、トップが組織の意見を聞かないという意味ではありません。組織内部からの意見は十分に聞く。場合によっては多数決を取ることもあるかもしれない。
しかし、仮にその結果が違ったとしても、トップが最後に決断したのであれば、トップの考えに従って組織は意思決定します。
そして、その決定にトップは全責任を負う。そういうことだと思います。

民間企業では社長を選挙で決めるでしょうか?派閥の領袖を選挙で決めるでしょうか?
現在、維新の会は橋下元代表の理念を引き継ぎ、松井代表がトップとしてしっかり機能しています。現状では代表選は必要無いのではないでしょうか。

前回の住民投票の結果、維新の会は、偉大なリーダーを失うことになりました。今回の住民投票で万が一否決された場合は、今度は松井一郎というリーダーを失うことになるかもしれない。
今回の住民投票は、どうしても勝たないといけないのです。

(2020年に書いた内容はここまで)

 

2年が過ぎ、当時とはだいぶ状況が変わっていますね。

今回、松井代表が決定したことですし、代表選に異論はありません。でも、松井代表の後継指名でも良いのではないかという感覚を、多少維持しております。

党勢も一時の停滞から伸びてきて、そろそろ組織を変えるタイミングだろうということはあるでしょう。
派閥らしきものもできているのか。時に聞こえてくる争いの声もあります。
しかし、自己主張よりも、客観的に「なぜ党勢が伸びてきたのか」ということを、しっかり考えなければいけない時です。

いまさら、決まっている代表選の開催に難癖付けた上に、さらにルールのことをという話なのですが、一般党員と特別党員の1票の重みが同じということも気になります。
聞くところによると、特別党員が600人に対し、一般党員は2万人とのことです。
実質的には、圧倒的に多数の一般党員の投票で決まることになります。

組織の中をまとめることが重要な職務である代表が、内部の事情や人間関係等をあまり考えられずに、外見的な要素で決まってしまう可能性があること。大丈夫なんでしょうかね?
とくに松井一郎という組織をまとめるのに天才的な才覚がある人の後継者です。
たいへん心配ですが、維新の会の潜在力に期待するしかないでしょうか。

権力争いの場にだけはならないように心から願っております。(← ここが一番言いたかったとこです。まどろこしくてすいません。)
投票するわたしたちが真剣に考えるのは当然です。候補者が何を目的としているのか、実現可能なのかについて、流されずにしっかり聞いていきたいと思います。

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