えびさわ由紀

セクハラ騒ぎについて

今回の選挙で、えびさわ陣営にボランティアとして潜入して書かれた記事を読みました。
目的を隠して参加されたことは残念ですが、ネット上の情報をもとに憶測で書かれた記事がいくつも出される中、猛暑の中で実際にお手伝いいただき、ご自身が汗をかかれ、事実に基づいた記事を出されたことは、批判記事ですが、ご苦労様でしたと言わせて頂きます。

気になる部分がいくつかありましたが、

比例区で当選した猪瀬直樹が海老沢の胸を触った後のおさわり容認発言が、女性の有権者を遠ざけた。
選挙活動開始直前の6月中旬、猪瀬と海老沢が一緒に東京都内で街頭演説をした際、猪瀬が隣にいた海老沢の胸を何度か触った動画がSNS上に流れて炎上した。それに対し、海老沢は「まったく気にしてません」と擁護した。
ワーキングマザーのイメージで選挙運動をしていた海老沢は、これで対応を誤った。公開セクハラを女性自身が正当化してしまったように見えた。

この部分。やっぱりこういう話になってしまうんですね。
いまさらですが、実際に起こっていたことを書こうと思います。

問題の演説から数日も過ぎて、どこからともなく拡散してきたこの話。
スタッフから連絡を受けましたが、わたしは全く覚えがなく、「何の話?」と聞き返していました。
直後に大阪の朝日新聞が街頭演説の現場に取材に来て、あれこれ質問されましたが、全く覚えていないことなので、「触ってない(当たっていない)と思いますが」と答えるしかありませんでした。

外に出ていたので、動画も確認できずに活動を続けましたが、念のために選対の音喜多さんに連絡を取ると、すでに対応に動いているとのこと。
猪瀬さんからも連絡をいただきました。迷惑をかけたということでの謝罪も。
そもそもあやまっていただく覚えもないので、困惑していたというのが正直なところです。

まず一番に考えていたのは、当事者はともかく他の候補者に迷惑をかけたくない。ということでした。
そこは音喜多さんも共通の思いだったはずで、話し合いの結果、今回書くような詳細なコメントをブログで出すのではなく、ツイッターで短かく説明する方法を選択することに。

面白くなければ、記事はすぐ終わっていきます。
特に選挙では、対立する勢力からすると、ネガティブな情報はできるだけ拡散したいという動機もあります。長々と弁明しても、あげ足を取られてしつこくされるだけです。
それ以前に出されていたネガティブな記事も、説明のコメントを発信したところで、読んでも知らんぷりでしつこく絡んできます。
「どうせ嘘書いてるのだろうから読まない」と、わけのわからないことを言いながら、こちらからの説明はいっさい無視して、しつこくしつこく言ってくるだけでした。

印象操作とはそういうもので、事実かどうかわからないことを、憶測で攻撃してきているのですから、言い返してもプラスになることは少ないのです。
しかし、全く無視だと、それはそれで調子に乗ってどんどん攻撃してきますから、どのくらいの反論をしていくかは、ケースバイケースで本当に難しい。

夜になって、活動が終了した後に動画を確認しました。確かにここだけ切り取られると、けっこう触ってましたね。
前後の文脈から説明すると、まず猪瀬さんは、わたしの経歴について説明します。
スノーボードの黎明期のチャンピオンだ。そして、その活動が平野歩夢君がオリンピックで金メダルを取ったことにつながるのだと。
そこで猪瀬さんは、わたしの名前を一瞬間違え、「ひらの」と言ってしまいます。
わたしも選挙期間中の名前の入ったたすきをしていると勘違いし(選挙前なので維新の会のたすきです)、たすきをたたいて名前をお知らせしようとする。そこを猪瀬さんは、同じ場所をたたいたのです。
胸を触っていないし、仮に当たっていたとしても、それはたすきをたたいた結果であり、変に触る意図は全くないことは明白なのです。

猪瀬さんは、名前を間違えたことを気にしています。肩を何度もたたいたのは、スマンという意味もあったでしょう。
それを感じ取っていたから、わたしは不快に思わず、全く覚えていなかったのだと思います。

また、これは選挙に出たことのある方にはご理解いただけるはずですが、選挙に出るということは、ある意味人生をかけて命がけで挑戦するといった感覚があるものです。
仲間として参加している人たちは、戦友とも言えます。スポーツでチームになって戦うときに円陣を組む。勝った時には抱き合って喜ぶ。サッカーのサポーターでもそうでしょう。肩をたたく行為が、お互いを鼓舞する感覚があることも少なくないのです。
猪瀬さんは、動画の場面の前後で、反対側にいた音喜多さんの肩を、わたし以上にたたいています。
その後に応援に来ていただいた他の方々も、肩をたたく仕草で、触らないように寸止めしている様子がたびたびありました。

もちろん、時代がありますから、今はそういうのを気を付けないといけない。それは間違いないけど、少なくとも今回の話は、選挙のムードの中でのアクシデントであり、セクハラではありません。

批判したい方には、面白くない話で申し訳ありません。
そういう話じゃないんだ。という声も聞こえてきそうですが、今回の「セクハラ騒ぎ」と言われる話の、事実の経緯はこんなことです。
セクハラに苦しんでる方などには申し訳ないと思いますが、わたしは誰にも圧力を受けていないし、不快にも感じていない。「声をあげろ」「不快に感じないはずがない」と批判されても、わたしにはどうしようもないのです。

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