フライデーに大阪での居住実態と経歴に対する疑義の記事が出されました。
①大阪市会議員当選時の居住実態がなかったのではないか
②プロスノーボーダー時代の経歴が詐称では無いのか
これらについては何らやましいことはなく、明確に説明が可能と考えておりますので、以下に詳細を記載いたします。
①当選時の居住実態
2018年末に府知事・市長のいわゆる「ダブル選挙」が決まったときから、2019年の統一地方選(大阪市議会議員選挙)は、都構想住民投票実現を見据えた政党にとって極めて重要な選挙になると認識していた。
府知事・市長のダブル選挙が決まった年末(市議選のおよそ4ヶ月前)、大阪市内の東成区とは別の場所での出馬要請を受けた。
この時点では「念の為」と思いながらも、大阪市内にある実家に単身転居し、居住して準備を始めた。しばらくして、その選挙区には他の候補が内定した。
そのため、出馬はなくなったと認識したが、候補者が不足していることは理解していたため、万が一に備えて大阪にとどまり準備を継続した。
党幹部が説明しているように、大阪市東成区における市議選出馬を最終的に決断したのは数日前であるが、以上のように約4ヶ月の居住実態がある。
②プロスノーボーダー時代の経歴
わたしは1997−98シーズンのスノーボードクロス競技(当時は正式種目ではなくボーダークロスと言われていた)の日本チャンピオンである。このことをプロフィールに掲載しているが、これは以下のことより事実である。
当時はハーフパイプのみが日本スノーボード協会の正式競技であり、スノーボードクロスは正式種目になる直前の過渡期だったが、競技は行われており、「ジャパンスーパーBXマスターズ・ファイナル」で優勝することがチャンピオンを意味した。
そのため、プロはその大会を最終目標として練習をしていた。わたしは、1998年(1997-98シーズン)に行われたジャパンスーパーBXマスターズ・ファイナルに優勝しているので、そのシーズンにおけるボーダークロスのチャンピオンである。
長い期間が経過し、当時の記憶を持っていない方々の運営になった現在では、プロスノーボード協会に正式な記録は残ってないのかもしれないが、当時のプロの間では、その大会で優勝したものがチャンピオンという認識であり、プロ選手の間でその認識は共有されている。
詳細の説明は以上になります。
スノーボード競技の経歴の証拠としましては、いくつかの記録を所持していますので、他の方の名前等はプライバシー保護の意味合いより、黒塗りで伏せた上で記事の最後に公開します。
これらの印刷物は、当時のスノーボードのプロの大半が目にしたものであり、違和感があるのであれば、なんらかのアクションがあったわけでしょうが、誰も異論を唱えたものはいなかったと認識しております。
また、この年鑑を作成した団体は現在も活動しています。
PSA-ASIA(Pro Snowboarders Association Asia=アジアエリアの各国協会公認プロによる選手会)
さらに、フライデー記事とは関連しませんが、誤解を受けそうなポイントについて、説明を加えておきます。
○大阪市会議員としての任期継続と報酬について
現在は休会中により東京で参院選の準備を市議の職務と並行して行っている。
来月開かれる議会には、私自身が関わってきた内容もあり、その採決までは責任を全うするべきと考えている。
加えて辞職をするタイミングを5月の議会終了後にすると、補欠選挙が参院選と同日選となり、選挙実施にかかる経費も大幅に節約することができる。
そのため、辞職のタイミングは、5月の議会が閉会する下旬とする。ただし、政治活動を並行して開始する4月・5月分の報酬は、有権者から疑念を持たれないために元より受け取らない方針であり、返上は法律上できないので、政党に預けて寄付先を選定してもらう所存である。
いずれにしても、任期を1年弱残して大阪市議会議員を辞職することについては、支援者の皆さまの声を重く受け止める必要があると考えております。辞職をするタイミングまではしっかりと議会や地域における活動で職責を果たし、また国政との連携で有権者・支援者の皆さまにご理解を賜われるよう邁進をしてまいります。