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社会保障改革は「持続可能」を論点に

能登震災から1年が経ちましたが、テレビなどの報道を見ると、まだまだ潰れた家がそのままだったり、なかなか復興は進まないようです。
政府の予算が3700億円付いているが、その執行がされず年度末を迎えるので早く決めようと、TV番組で野田立憲代表がおっしゃっておりました。

さて、今後はどういうふうにするのか。そういうことを考えるわけですけれども、
一方では「元通りにしろ」という人がいて、一方には「最小限で効率的な復興に」と考える人がいる。
被災地では「元通りにしてください」という意見が多いはずで、当然です。
それに対して、莫大な予算を使って元通りにしても、インフラを維持するためのコストがもたない。この際だから、未来を考えて効率的な、持続可能な復興を考えるべきという意見です。

被災地に縁もゆかりもなければ、臨場感も薄いし、感情も大きく盛り上がることもない。
しかし、現地に両親や知人が住んでる人からすれば、「かわいそう」という感情が大きくなるのは当然。
被災地の方からすれば、これまで莫大な保険料を国に払ってきたのに、こんな時に払い出ししてくれなければ、日本国を信用して税金や保険を払ってきたのが馬鹿馬鹿しくなる。
一方で、ちょうど30年を迎える阪神淡路大震災、14年前の東日本大震災など、定期的に災害は起こっている。
毎回際限なく予算を使っていたら、国民の負担が大きくなりすぎる。そう感じる人もいる。

さて、この絶対に一致しない意見を、最終的にどの塩梅でまとめるのか。決めないといけないのは、間違いなく政治なわけです。
当事者意識が濃厚な方と、そうでない方。今必要なお金と未来の展望。そういうことをバランスよく考えて決めないといけない。
だけど、わたしは、ただドライに決定することには反対ですし、だからといって、困ってる人だけに寄り添いすぎるのも問題だと思います。

よく、「税金の無駄遣い」という表現をしますが、無駄遣いは人によって異なる。
無駄遣いかどうかは、決まっている事ではなく、何らかの方法で「決める」こと。
この、非常に難しい決定をしなければいけない。
その責任を政治家の方々は、真剣に考えているのでしょうか。
真剣に向き合えない政治家に、税金を使っていることこそが無駄遣い。そう感じているところです。

わたしの母が年末に亡くなりました。
祖父祖母が亡くなった時も、当然悲しくて泣きました。
しかし、両親が亡くなるというのは、初めての体験でしたが、想像以上に大変な感情でした。
30年以上前に義父を亡くしている夫が、今でも義父の話をするときは涙を流している。
その感情がしっかり理解できた気がします。
人によっては、ご両親との関係が悪くて、このような感情とは程遠いという方もいらっしゃるでしょう。本当に感情は多様です。

様々な強度の、様々な方向の感情を持つ人がいらっしゃる中で、決めないといけないこと。
意見が一致しえない物事を、それでも決めて行かねばならぬこと。
政治家の仕事は、本当に重大で、大きな責任を伴うことなのではないでしょうか。

社会保障の負担が大きいから、負担を下げようということを、維新の会が言っています。
もちろん賛同できないわけではないのですが、社会保障の負担を下げるという、一方のことだけでは、それをワンイシューのように表現するのでは、わたしは非常に無責任に感じています。

負担を下げるということは、社会保障費を総枠で下げる、つまりサービスをカットする。もしくは消費税を増税するか赤字国債を発行するか。普通に考えて、そういうことを意味するはずです。
金持ちだけが良い医療を利用できるアメリカの医療制度みたいなことになって、行政サービスが低下する、ようなことも考えられる。
もちろん無駄や非効率は改革しないといけないが、負担を下げるのは改革を進めてからではないのか。

根本的な原因が「超少子高齢化」である以上、今の状況は当然の帰結であり、マジックで解消できるようなものではないはず。今後も状況が悪くなる一方なのは間違いないのに、負担を減らす?
一体、どうやるのでしょう。
これも、能登の復興の話と基本的には同じ話です。

経済成長に繋げる。
これは、現時点ではやや無責任な主張でしょう。
安倍政権の時は、アベノミクスという経済政策を示し、第3の矢として成長戦略を言っていた。
第1第2の矢は、時期からして、まあまあうまくいったけど、第3の矢である成長戦略はどうでしょうか。何も変わらなかったはずです。

行政改革で財源を作る。
これも安倍政権の前に、民主党政権が「事業仕分け」と言ってやってたけど、「埋蔵金」はそんなに出てこなかった。
やらねばならないことだが、それですべてカバーできるとは思えません。

しっかりとした政権が全力で取り組めば、もしかすると、できるかもしれない。
しかし、過去に政府が取り組んで失敗していることなので、またそれを言うのであれば、失敗を覚えている有権者は眉唾にならざるを得ない。
きっとすぐには信用されることはない。一部の少数派の支持にとどまる。そういう結果になると思います。

先の衆院選では、財源を示さず生煮えの政策で惨敗した。また、それの繰り返しになるのではないのか。
維新らしく、支持されないことでもはっきり言って、その上で嫌われて落選する方が、まだ日本の将来のためになる。わたしはそう考えます。

わたしは2012年にブログで「自民党はフーテンの博打打ち」というものを書いています。
今、財源の話をせずに、負担軽減の話をするのは、まさにフーテンだと思います。
今度こそ、なんとかふやして帰ってくるから、もう一回だけチャンスくれよ。
そういうフーテンに何度も家のお金を持ち出されてきたはずです。
だから、世界でも突出して高い債務比率になってしまった。
国債の返済や利払いにあてる国債費は28兆円超に達し、社会保障費(約38兆円)に次ぐ歳出項目となっている。

社会保障の改革は、全体の改革を進めなければならない。
結果的に「負担を下げる」ことを目標にすることは良いけども、出る方をどうするのか。しっかりと決めないのであれば、維新らしい主張とは言えない。
2012年の維新八策では、消費税は将来的に20−25%くらいになるはずだった。
当事、負担軽減など耳障りの良いことを言っていたのは、民主党や自民党でした。
2010年の参院選では、就任直後の菅直人首相が急に消費税増税を言い出し、公約だった「増税はしない」約束を反故にしたことで惨敗しました。
総理大臣になってみたら、政権を担当してみたら、やっぱり自民党と同じことを言うしかなかった。

ただ無責任な野党になるのは残念です。
誤魔化さずに、逃げずに、有権者の聞きたくないことも丁寧に説明してきたのが維新ではなかったのか。

それに、維新の会は、特定のステークホルダーの主張だけを強調する政党ではなかったはずです。
日本全体のことを考え、未来の社会を良くするために、今やらねばならないことを進める政党。
政治を前に進める政党のはずです。

社会保障改革については、まっすぐ逃げずに主張して、負担を減らすなら、財源を示す。
改革するなら、方向性を明確に主張する。
「現役世代対高齢者」ではなく「持続可能な社会保障」をうたって改革を進めるべきだと思います。

敵は高齢者ではなく、古くなったシステムであり、必要なのは本当の意味でのイノベーションのはずです。
全国民のことを考え、将来の日本の社会が明るくなるために、そのために必要なのは現役世代のことだけではないはず。

そもそも、今の高齢者の一部は、社会保障を「私」で賄ってきました。
店のお母さんなら、子供ができたらおんぶに抱っこで店を切り盛りし、体の不自由なおばあさんの介護まで家でしていた。
それが当たり前だった。
介護保険が出来て、介護を公助で賄う方向になったのは2000年。たった25年前です。

現役世代が負担に耐えられずに貧しかった戦後、高度成長期までの間は、健康保険も全員にあったわけではなく、負担率も、国保だと本人は5割負担、家族は保険自体が無い、といった時代もあった。

現役世代の負担がもう耐えられない。
本当にそうであれば、その時代に戻して、健康保険の負担を5割に上げ、お父さんお母さんの介護は、各自がするようにするしかないのか。
その時代に戻すのか。

「負担を下げろ」という表現では、あまりに片側だけの主張に聞こえます。一部のステークホルダーの代弁者に聞こえます。
万年野党のつもりなら良いですが、政権を担当するという意欲を失っていないのであれば、政権担当政党として責任のある主張をしていきたい。

政党としての主張において、「支持を受けて政治的影響力を増す」という手段が、手段であるはずのことが、目的化してきたのではないか。
わたしはこのままでは、いっときはブームに乗っても、最終的に有権者の支持が得られるとは思えません。

野田立憲代表は、「未来世代からの搾取」として減税論に疑問を呈したとのこと。
維新の会も、初心ではその方向性だったはずですが、いつ変容したのか。
耳障りの良いことばかり言うようになったのは、いつからなのか。
とにかくも、社会保障改革と負担軽減は、いったん切り離したほうが良いのではないか。
未来のために泥をかぶれ!維新の会。そう感じています。

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