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選挙の法律はあいまいですよね

つばさの党による選挙妨害ですが、捜査が続いているようです
東京維新のメンバーも、捜査に協力しています。

選挙妨害は、行われた当日にその場所で取り締まりをするべきだったという方もいらっしゃいますが、なぜ、選挙後に逮捕ということになったのか。

法律が無かったから?

そうではないのですね。
警察が取り締まりを行うのであれば、それを適用できる可能性がある法律は既にありました。
すぐに取り締まれなかった理由は、「前例がない」これが一番の理由ではないでしょうか。

前例が無いとなぜ慎重になるのか。法律があるのに。
それを考えるうえで、「法の支配」と「法治主義」という、意味が近い二つの言葉の違いを検討していくことが、助けになる可能性があります。

最初に、ネットなどで調べると出てくる、一番簡単な説明を上げてみます。

「法の支配」とは、いかなる権力者も、法律に従わなければならないという原則のこと。基本的人権と国民主権を守るために、国家権力に制限をかける仕組み。

「法治主義」とは、法律に則って国家権力の行使を行うという原則のこと。形式・手続きの適法性が重視される。法律の根拠さえあれば、基本的人権への制限を容認することもあり得る。国民を、法律というルールで統治する仕組み。

よりわかりやすく説明するならば、法がしばる相手の違いです。
法の支配は、権力側を縛るもので、法治主義は、国民側を縛るものである。

選挙の取り締まりや、政治資金の問題に検察が関わった事例について言えば、権力とは警察や検察であり、候補者や議員は取り締まられる側であるということ。
この場合の「法の支配」は、憲法にある「政治活動の自由を尊重し、国民の自由な政治活動や言論活動を守る」という意味合いで使われる。
警察や検察の権力が、国民の権利を侵害しないように、適切に行使されることを保障するために使われる概念である。
国民が法律を守るべき、法律があるのであればその効果によらず形式・手続きが正しければ検挙する。という意味合いで使うのであれば、「法治主義」と言うことばの方が当てはまるのではないか。ということになります。

なぜ、警察が選挙の時に、取り締まりを躊躇するのか。
それは、上位法である憲法に、政治活動の自由が国民に保障されているからです。
政治活動は、基本的に自由に行えるものなのです。しかし、公平性などを考えて、法律で一定のルールを定めてきた。具体的な事例があるたびに改めてきた。
日本国憲法においては、基本的には『憲法→法律→命令(政令・省令、規則)』という段階構造が形成されているのですが、憲法に書かれたものが、最も重視されると解釈するのが一般的です。

事件性がある事例があったとします。
警察は、法律に基づいて処理するわけですが、そこに一番重要なのは「前例」です。
前例がある場合、司法判断などが済んだ、明確な基準があるので、自信を持って処理するでしょう。
また、警察にはガイドラインがあります。それには法解釈の助けになる内容が記載されている。
しかし、あてはまる前例がなかった場合や、ガイドラインにも詳細な記載が無かったり、あいまいな表現だったりする場合は、警察は、憲法にある「国民の権利」を侵害しないように、慎重に検討することになります。

相反した二つの概念を、どう判断するのが適切なのか。これが、今回の選挙妨害の問題の本質ではないでしょうか。

容疑者の方々は、「権力による政治活動の妨害」「前例のない逮捕」などの言葉で反論しています。これは、一面ではありうる主張なのですね。常識的な人々から見ると一方的ではあるものの、彼らにはそれを主張する権利が憲法で保障されている。今後、司法に移って判断がされるでしょう。

法律は、常識や社会規範、道徳、慣例などに内側から支えられている。むしろ、そちらの方が一般的、より普遍的で、法律というのは特殊なものだと思います。
だから、実際の社会にフィットしなければ、しなくなれば、改正されたり、新規に作られたりする。

今回の逮捕は、警察の慎重な姿勢の中で、世論という常識や道徳に背後から押されたから、最終的に行われたのではないでしょうか。
取り締まれ!という声が大きかった。異常だと感じて声を上げる人が多かった。
あの行動に、ペナルティを与えることができる法律は既にありました。元々あった法律で取り締まり自体は、可能だった。
しかし、警察には、取り締まらないという決断、選択肢があり、今までは行わなかった。前例がなかったから、慎重にならざるを得なかった。つまり、政治活動の自由という「法の支配」があったからです。
今回行われていたことが、普通の人が感じる常識や道徳をついに外れたために世論が高まった。今までは、人々の感じる常識の範囲内だったから、警察は「法律はあるけど」検挙に動かなかった。そういうことではないのでしょうか。

さて、やや難しい話でしたが、「法の支配」という単語は中学、高校の教科書にもあったようです。ちゃんと勉強してなかったから全く覚えがなくて、編入した大学の法学部で出てきた時に初めて勉強しました。そして、今回「あるnoteの記事」を読んだことで思い出し、調べなおしました。

選挙の話は、ルールを守るという当然の遵法精神とともに、一方で「政治活動の自由」という憲法の精神も守る必要がある。
近頃は、悪法も法と言うことで、誰かが出した解釈を元にルール違反だけを言う方も多いですね。
しかし、戦後、昭和の時代に多くの大衆がこだわったのは、むしろ自由や権利を守るという論点の方だったのではないでしょうか。奪われていたものを取り返して確保した。それを守るという意識だったのではないか。
強調されることは時代によって変わるものですが、一方的な話だけに終始せずに、もう片側の論理も理解し尊重することも重要ではないでしょうか。バランスが大事だと感じます。

政党の機関誌の問題に対しては、「法律の解釈の幅を広げる」という表現を、藤田文武幹事長が会見で話されました。
わたしは良い説明だなと感じていて、選挙運動に対する考え方そのものが、わたしと近いのだなと実感した言葉です。
なんとなく雰囲気で、違法なことを許容するという意味合いにとらえて批判する方もいそうですが、そういうことではなく、はっきりしない法律に対して委縮せず有権者に伝えるべきことを伝えるという意味だと思います。もう一つの守るもののことを言っているのだと、ご理解いただけると良いですね。

コメント

    • 2024年 6月 08日 6:26am

    藤田幹事長は、「法律を拡大解釈する」同じ意味ですが「法律の解釈の幅を広げる」という表現でした。
    私も海老沢さんと同じ気持ちでした。

    • 夏さん。ご指摘ありがとうございます。修正させていただきました。

    • 通りすがり
    • 2024年 6月 08日 6:26pm

    「はっきりしない法律に対して委縮せず有権者に伝えるべき」とドヤ顔されてもねぇ~

    これが国民の生活に関係する政策課題に関する法解釈へのチャレンジであれば一定の説得力はありますが
    今回の「政党の機関誌の問題」は、どう贔屓目に差っ引いても「維新の会の党利党略=私利私欲」以外の何物でもない

    まぁ、百歩譲って海老沢由紀さんご自身が「検挙されるリスク」を受け止めて活動されるのはご自由ですが
    海老沢由紀を慕って応援に入られた一般人のボランティアの方々い「検挙されるリスク」を負わせることに意を介さない厚顔無恥さには呆れます

    • このブログには、「そのご意見」に関することは具体的に載せておりませんので簡潔にお答えしますが、そのご意見には同意できませんし、検挙されるリスクを負ってるとは思っておりません。また、これ以降そのお話には、このブログではお答えいたしません。

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